2015年8月21日金曜日

08/02 その 2 小樽の街並み ラーメンおたる蔵屋

小樽も他の地方都市同様、空きテナントが目立つ。

このごちゃごちゃした街のどこに新幹線の駅を作るのだろう・・・・

いかにも場末のスナック街。
でも好きだね、この雰囲気。

トタンの外壁、屋根。
僕が小学生の頃の昭和50年代は当たり前にあったトタン。
これもまた消えつつある昭和の時代のひとつだ。

ここも歴史ありそうで、
かなり誘惑にかられたけど、さらに我慢。
あとからすれば入ればよかったと後悔。

昭和37年建築の橋。下に線路が走っています。

その橋のたもとに交番があった。
こういう場所の交番の勤務はいいと思う。

南小樽駅が見える。

鳥の丸揚げで有名な「なると」の支店があった。



函館同様、明治末期から大正時代に栄えた小樽の街も、
当時入ってきた西洋建築の建物がまだあちこちに残っている。


ここにも目立つ空きテナント。

風船カズラかな?

レトロなお菓子屋発見

今の職人が死んだらなくなるんだろうなぁ・・・
何か寂しいね・・・・


コープさっぽろのベンチでぼんやり休んでいたら、
すぐ隣に温泉を発見。




作りは懐かしい銭湯そのものだが、
お湯は、きちんと温泉らしい。

温泉の隣にも閉店した商店らしき昭和な家があった。


新しい家にはさまれた古い蔵



南小樽駅







おたる蔵屋

http://tabelog.com/hokkaido/A0106/A010601/1004046/


色々迷った挙句、最後に通りすがりにあったこの店に入った。
小樽市内では、老舗店みたいだね。

やや記憶が薄れているが、確か豚骨魚介スープな感じでして、
まあまあうまかったです。



隣の焼鳥も経営しているらしく、
焼鳥も注文可能らしいです。

隣の焼き鳥屋もかなりオイラ好みの雰囲気で
衝動にかられましたが、ここは我慢で・・・・

まだまだ時間があるので、
ラーメン屋から海を目指してゆっくり歩いてみた。





小樽市かどこかの重要文化財か何かになっていて、
現在も人が住んでいるようです。
門が確か中国の様式が入っているとか。



旧開陽亭。料亭でして、今は使われていませんが、
明治の面影を感じられます。

引用ですが、

明治初期に開業した料亭で、亭名は創業期の魁陽亭から開陽亭、海陽亭とかわっています。

建物は大半が大正期の増築ですが、2階大広間「明石の間」は、
明治29年大火類焼時の再建と推定されています。

明治39年11月、日露戦役による樺太国境画定会議後の大宴会が
ここで開かれるなど日本史の舞台にも登場し、
政財界など多くの著名人が訪れています。




観光地帯へ着いた

函館にもよくある大正時代っぽい作り。

おそらくここは運河を埋め立てた道かと思われる。
にしても、反対運動のお陰で、運河の一部が残り、
そこが観光資源となり、何よりも美しい風景が残って良かったと思う。




ここのすぐそばに、帯広ナンバーの車が泊まっている様だった。
車泊できれば、朝晩海を見ながらもいいねぇ・・・

港町小樽なだけに、トラックの荷台が沢山


風のない穏やかな海は本当に心安らぐ。


今日の旅も終わりです。

こんな田舎駅にも中国人が携帯電話で
でっかい声でくっちゃべっていた・・・・・




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