2015年3月7日土曜日

さようなら寝台特急北斗星。乗車の思い出。

来たる3/13(金)、とうとう国内からブルートレインが消える。
青函トンネルが開業して以来、
20数年に渡り札幌と上野を繋いで来た寝台特急北斗星が定期運行を終了する。

来春の北海道新幹線開業と、車両の老朽化が理由とのことだが、
旅情と国鉄時代を思わせる車両編成がまた一つなくなる。

まあ、でも、繁忙期などには、臨時列車としての運行はあるみたいだけど。



3/13の夕方は、札幌、上野を始め、停車駅は賑わうでしょう。
そうなると思い、4,5年前から、写真を撮っていました。
後の世に伝えていけたらいいです。
2010/06/24 函館本線 森~鷲ノ木間にて

2011 年3月? 函館本線 七飯~大沼間


それ以外の写真は、下記のリンクから見てください。



思い返してみると、オイラは1回だけ乗車したことがある。
確か大学1年の春休みに、6つ下の妹と
東京に住む兄に会いに行った時に往復で乗車したのだ。

大学1年の6月ころから始めたスーパーの農産部門で、
野菜や果物の仕出しや、売り子をして貯めたお金で行ったんだよ。
この旅に行くためにバイトも3月で辞めたんだよ、確か。

この後も、いくつかバイトをしたが、全て旅をするために辞めてたな、オイラ
結局、その頃から、人生全てを旅に合わせて生きてたんだよね。

バイトは日曜日も呼ばれて働いていたので、
小遣いにしては十分なくらい稼いでいたので、行けたんだろう。
にしても、冬の店の入り口や、外でのみかん売りは寒くてきつかったなぁ・・・

夜は社員が帰ってしまい、オイラ独りになるので、
半額にして売れ残りで捨てる野菜を持ち帰ってだいぶ助かったな。
ラーメン屋のオヤジにも野菜を分けてやったりして
ちょくちょくラーメンをごちそうになってた。


この時の、北斗星の旅の写真は、実家にあったが、
Web には、載せてなかったみたいだ。
兄は、その頃、東京都の板橋区に住んでいた。
確か、3,4日泊まらせてもらったと思う。

兄の部屋は、すさまじく汚くて、オイラと妹は、靴下のまま歩くことも躊躇したほどだ。
布団も何だか汚くて、ちっとも落ち着いて眠れなかった記憶がある。

部屋の様子や兄から見せてもらった写真からは、
仕事もきつそうで、金銭的にも、精神的にも、大変そうで、
何か生活が乱れているな、と感じた。
兄も大変だったんだろうと思う。

しかし、その後10年くらい経ってもやはり、部屋は汚い。
最近は、千葉県に住んでいるが、今は綺麗にしているだろうか・・・・

東京滞在中は、何をしたかあまり記憶がない。
中学の頃の友達に会ったことは記憶があるが、
あとは、大したことしてないような気がする。

帰り、兄が、上野駅まで送りに来てくれた。
兄は20歳か21歳だったと思うが、
ビールを飲みながら、ホームで見送られた写真が残っており、
その事がとても記憶に残っている。
妹もオイラも涙ぐんでいた。

オイラや妹は親に守られぬくぬくと暮らしているのに、
兄は遠く離れた土地で、独り生きていくことを考えると、
とても自分が情けなく、兄に申し分けない気持ちになったことを覚えている。



オイラたち3人兄妹は、小さい頃から本当に仲が良い。今でも。
それはこの先もずっと大切にしていきたい。

生まれて3日目の妹と初対面。
左が兄、右がオイラ。



2 件のコメント:

  1. 20歳ごろに東京来た時は首都高を一緒にドライブした気がする。20歳頃の写真はまったくないな。部屋は今、人生最高に汚いかもしれない(;´Д`)汗誰か泊められるようにしとかないと・・・(´・ω・`)

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    1. そういえば、幕張辺りの干潟に行った気がするけど、車を借りたのだっけ?

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