2023年10月15日日曜日

2000年10月5日~9日 金山町(福島県)・新発田市(新潟県)ツーリング(27歳)

古いホムペのデータを見たらこのブログにも残しておきたくてupしました。

にしても昔はこんなに文章書いていたんだなぁ・・・・

結局オイラは、良くも悪くも、

20代の頃と何も変わっていない

バイクの旅はずっと続けて行くんだろうなぁ・・・


金山町(福島県)・新発田市(新潟県)ツーリング

旅人:こじこじ(埼玉県和光市・27歳)
期間:2000年10月5日~9日
バイク:ヤマハセロー225

(金山町沼沢湖キャンプ場にて)




<10月5日> 奥会津金山町へ
 今回の最大目的地は福島県金山町である。
私は椎名誠さんの愛読者なのだが、
金山町は彼の監督映画「あひるのうたがきこえてくるよ」の舞台となった町である。
最近読んだ本でそれを知ったので、行くことにしたのだ。
朝8時、自宅出発。荷物は少し物を詰めるだけで、
いつでも出発できるように準備してある。
なんせ、自称「流浪の旅人」だから…(なはは…)。

去年の旅から、荷物入れに、コンテナを使い始めたが、
これがなかなか便利。以前は中が雨に濡れないように
ビニール袋をかぶせていたのだが、その手間もないし、
積むのも楽だし、上にもさらに物を積めるし、もっと早く使うべきであった。
私も人のを見て、試してみたのだが、
まだ試していない方は、是非、コンテナをお勧めします。
途中の観光地、日光や鬼怒川温泉などにも目もくれず、
一気に行った。しかし、日光杉並木は荘厳で、
さすがにそれだけはカメラに収めた。

(日光杉並木)


私の実家の北海道七飯町にも赤松並木
(一応日本の道百選)というのがあるが、
ここには負けたと思った。
ガソリンスタンドの店員が名もない田舎町に行く私を不思議がり、
「会津若松ではなく、金山町ですか?なんか親戚でもいるのですか?」
などと言われながらも7時間半かけてようやく到着した。

こんな長距離運転は、去夏の北海道での美瑛町から七飯町までの9時間走行以来だ。
さすがに疲れた。
 
 当初の予定では、町内の、水道、トイレなどがある公園など
にテントを張る予定だったが、小さいとは予想していたが、
本当に何もなく、町の中心街?は、バイクだと,ほんの2,3分走っただけで通り過ぎてしまうくらいであった。テントをはれそうな場所がないので、
町の小さな酒屋で私の愛酒(発泡酒)「麒麟淡麗」
(150円!!安い!!!かつては「キリン一番絞り」の熱烈な信愛者であったが、
たいして味が変わらないことに気づき値段の安いこちらに変えた。
ま、他人にはどうでもいいことだが是非書きたかったことなので…)
を買い、急遽、沼沢湖キャンプ場に向かう。
しかし、ここは、1泊1,300円も!!!とられるので、
嫌であったが、今回はしょうがない。
この時期、この田舎町、さすがにキャンプは私1人しかいなかった。









(金山町沼沢湖キャンプ場)



 キャンプ場の管理人は、朴訥でいい方達だった。
訛りがまた心地よい。田舎の人はやはりどこもそうだ。
キャンプサイト内はバイク乗り入れ禁止だったが、
誰もいないからいいよと言ってくれた。

旅先で思いがけない親切にあうというのは、本当にうれしいものだ。
早速テントを張り、飯を食った。
本日のメニューは、クリームシチューである。
当然レトルト食品である。コンロでお湯を沸かし、シチューを温める。
それに、朝作ってきたおにぎりをくだいて入れて食べた。
途中何も食わずに来たので、それがまた感動的にうまかった。
走り疲れと程よい酒でそのまま倒れ込むようにして寝た。
 夜6時半頃目が覚めると辺りは暗くなっていた。
新潟の渡辺さんに電話をして7日に行く旨を伝え、また寝袋に入った。

<10月6日> ぶらぶら金山町めぐり
 朝、8時頃起床。
予定では6時頃起床の予定だったが、昨日の疲れで起きられなかった。
この時期さすがに朝方は冷えた。
でも、5月に行った佐渡島に比べれば天国だ。
テントを出るとそのすぐそばで、地元のおばさんがきのこをとっていた。
米を炊き、レトルトカレーとラーメンを食べた。

まー朝から良く食うもんだ。

(朝もやの沼沢湖。人影はない)




 9時半頃出発。写真をとりながら、湖畔沿いを走る。国道に出ると、只見川が見えた。ゆったりゆったりとした流れが心地よくて、しばらくぼーと眺めていた。幼い頃は海沿いに育ったし、故郷の北海道で見た川にはこの只見川のように深い谷間を流れる川がなかったので新鮮な風景だ。何年か前に見た岐阜県白川郷の辺りを思い出した。
(悠々として只見川)

 

 只見川沿いを走り金山町の旧本名小学校へ行く。
ここは先に述べた椎名誠監督の映画で撮影に使用された場所である。

しかし、撮影の年を最後に閉校となったと本で知ったので、
その後どうなっているのか気になり、見に行った。
最近自分の旅の中で密かな流行となっているのが、この閉校めぐりである。
自分の通った学校でなくとも郷愁に浸れるので見つけるたびに寄るようになった。

朝に通った沼沢湖のそばにも閉校した校舎があり、早速写真に収めた。
 本名小学校の写真を何枚か撮り、校舎の中をのぞき、
しばらく物思いにふけりその場を後にした。

古き良きをとどめる校舎である)
(♪仰げば尊し我が師の恩 教えの庭にもはやいくとせ)




 西会津町方向へ向けて国道400号を行く。
JR只見線会津西方駅を写真に収める。
この「田舎の無人駅を写真に撮る」
という行為も私の旅の中では定番の行動である。
大学生の頃からこういうことをして、
自分でもじじくさい趣味だなぁと思うが好きだからしょうがない。


(↑次の列車はいつ来るのか)





↑福島県西会津町の旧黒沢小学校を撮る。)




本当に山深い中の学校だ。
付近に農家らしき家が何軒かあるが、
なるほど若者など住んでいなさそうで閉校するのもうなずける。
やはり若者は町へゆくものなのか。
かく言う私も田舎から東京へ出てきたひとりであるが。
 
 国道400号線は、本州の他の3ケタ台の国道もそうであるように、とても狭い道であった。
しかもグネグネの峠道で、林道にただアスファルトを引いたという感じである。
こんな所でバイクがパンクでもしたら、
2、3日は人が通らないだろうなぁと思うような道であった。
しかし、街中の交通量の多い道を通るのは味気ないので、
やはりどうしても幹線を避けてしまう。
 
 いずれにしても、金山町は静かでこじんまりとして良い町であった。
また来たい。あと、隣町の昭和村という所ものどかな所で、次回にでも滞在してみたい。
この前、NHKのラジオでそこに住む29歳の
はた織りをしているという女性が出ていたので、
農家でもないのに、若いのにそんな田舎に住むなんて、
一体どんな人なのか会ってみたい。
 
 新潟県三川村の道の駅三川に寄る。
農家の軒先に売られている栗を買った。
人はいなく、貯金箱のような箱の中に、
客が勝手にお金を入れていくようになっている。
田舎に行くとこの手の路地販売が多い。
この農家の裏に、日本名木百選(だったかな?)の「将軍杉」があった。

 ここからしばらく阿賀野川沿いを走った。
川沿いだが、北海道の海岸沿いの道を思い出させた。
私の実家の方にはでっかい川は近くになくて、
見慣れていないからか、でっかい川を見るのが心地よかった。
 
 急遽、新発田市へ!! 急遽、刺身の宴へ突入!!
笹神村の村杉温泉に入る。
この日は天気が良かったが風が冷たく、体が冷え切っていたので、
とりあえずのしあわせを取り戻し、
今日のキャンプ予定地である奥村杉キャンプ場に向かった。

(村杉温泉・薬師の湯)


 しかし、いざ着いてみると、
そこは車が4,5台ぐらいしか入らないほどのせまい場所で
あまりにも淋しい山中であった。

とたんにテントを張る気力をなくし、
奥のキャンプ場をめざすが、それらしきものは全く見えてこず、
しかもそればかりか、橋の脇に車の燃えたであろう跡があり、
しかも花束が添えてあるではないか!!!!

あきらかにここで人が亡くなったと思われる。
途端に早くここから立ち去りたくなり、
キャンプどころの気分ではなくなった。
翌日行く予定であった友人の家へ、急遽向かうことにする。
あ~くわばらくわばら…。
 
 新発田市内。
友人の家がわからずに街中をうろついていたら、
仕事中の友人(車の整備士)の渡辺さんが反対車線からきて
クラクションを鳴らした。こっちもびっくりしたが、
向こうもさぞかしびっくらこいただろう。

なにせ来るのはその次の日であったのだから…。
本当は家の前に私が当たり前の顔して座っていて、
驚かせる予定でいたが、こっちのほうがびっくりしたらしい。

新潟支部格納庫
 

 夜。とりあえずはビールで乾杯。腹が減ってきたので、
近所のスーパーでかんぱちの刺身と寿司セットを買ってくる。
平日の夜なのに力強く「寿司」なので、
二人で「こんなに豪華でいいのかなー
と顔を見合わせてニヤニヤした。

(酔ってドリフの「GO WEST」のCDに合わせて歌う渡辺支部長)



<10月7日>秋晴れの日本海を見に行く
 今日は土曜であるが、渡辺さんは仕事があるので、
私は近場をぶらぶらすることにした。
天気が良かったので、新潟の街を避け、やや内陸の田舎町を経由して
日本海を見、帰りに新潟市内を見て帰るというコースにする。

 新津という街を通ることにする。
駅で一休みしようとしたら、ちょうど「SLばんえつ号」
が今まさに発車間近という所だったので、入場券を買い、写真を撮る。
ホームは家族連れでごった返していた。
私も動いている蒸気機関車を見るのは初めてだったので、かなり興奮していた。


いやはやものすごい迫力で、しばらく見とれていた。
機関車の運転手はやはり今の時代もスターであるようだ。
入れ替わり立ち代り、写真を撮られていた。


私はもともと鉄道が好きで、高校の頃は、
切符やスタンプや鉄道模型を集めたりしていた。
だから常々、鉄道全盛時代の昭和40年代に旅したかったと思っていたのだが、
やはりこの時もそう思った。
 途中、JR吉田町駅に8年ぶりに寄ってみた。
19歳のとき自分の姓と同じだという理由で寄ったのだ。
あまり変わっていなくて安心した。



その後少し南下して出雲崎町という日本海沿いの町へ出た。
道の駅で一休み。この町は「切妻」というつくりの家が有名で、
建設省選定の歴史国道で町並みが保存・修復・復元されている。
海が太陽で光っていた。寒かったけど、天気が良くて気持ちよい。

(これが切妻です)

 

 寺泊アメヤ横丁に寄る。
今まで閑散とした風景ばかりだったので
活気があり人がたくさんいて、安心した。
店が10件ほど並び、どの店でも名物「浜焼き」を売っている。
本当にうまそうだったが、金もないし、
その日の夜、渡辺さんと大宴会をする予定だったので、
腹をすかせるため我慢した。




 それにしても、魚屋というのはどこへ行っても活気があるし、
色々な魚をのんびりと見られるので、私は好きだ。
何かやたらとワクワクする。
魚市場というのも、活気があって好きな場所の一つである。
あんな朝早くから皆が元気だということがうれしい。
最もこれは私が魚好きということも大きく影響していると思うが…。
 
 新潟市内へ。今日は新潟市内見物がメインのつもりであったが、
結局、おまけになってしまった。
ちいさなホビーショップを見て、渡辺さん宅へ帰宅。
その日は渡辺さんが友人の結婚式の2次会に呼ばれていたので、
そっちに行くかと聞かれたので、迷って行ったが失敗。
3000円も出して、料理がまずく、せっかくすかした腹がもったいなかった。
こんなことなら食べておけばよかった。
寺泊の浜焼き。イカ焼き、つぶ焼き…あ~さようならぁ~。
 そんなことはつゆ知らず、渡辺さんは、ひとりで突っ走ってバカ飲みしていた。
夜中に、布団の上にゲボゲボ吐いていた。あーめでたしめでたし。

(このあとミスターゲロ渡辺と化す)





<10月8日>味噌キムチ鍋でしめくくり
 昼頃までごろごろして、二人で車で近くの川へ行ってボーとした。
それから、山へ行って栗拾いして、
とった栗を、近くにいた親子連れにあげた。

(よく立ちションする。たまに家の窓からも。
そこで
ゲロもやるときもある)
 



すでに夕方になっていたのでスーパーで晩飯の材用調達。
今日はどーんと鍋だ!!
しかも、「これでもくらえ!の味噌キムチ」である。
もう我々の勝利はほぼ決まったようなもんだ。
がっはっはっはっ。


 


 まず水が沸騰した所で化学調味料
(できればにぼしか昆布を使いたかったが、渡辺さん宅にはなかった)を入れ、
鶏モモ、豚バラ、鱈、エビ(ブラックタイガー)と、
「私たちはこんなに若いのに贅沢をしてバチが当たらないのだろうか?」
というぐらい贅沢でダシの出る具をドカドカと鍋へ投入。
煮えてアクもとったあと、キムチどっさり、味噌もどっさり。
ひと煮立ちしたところへ、すかさず白菜、春菊、ねぎを入れて出来上がりだ!

 調理は渡辺さんがしたし、渡辺さんのおごりだったので、
横で見ながら、正直「まあ、まずくてもしょうがない」と考えていた。
しかーーーーーーーーーーーし!!!!!!!!!!!!!
なんと、その汁のうまいことといったら!!!!
うそだと思うかもしれないが、我が鍋人生の1,2位を争うほどのうまさであった。
やはり皮付きの鶏モモとエビの威力が感じられた。
あーとにかくうまくて参った・…。


(キムチ効果で二人とも汗だくとなった)


<10月9日>旅のしめくくりはラーメンと生ビール
 朝6時頃自然と目が覚めた。
もそもそと準備をし、
時に渡辺さんの家を出た。
渡辺さんは、友達と会津若松へ日帰りツーリングへ行くという。
別れ際、渡辺さんが握手を求めてきて、
顔を見たら少しじ~んときた。
 
 朝早かったので道路もすいており、
80~100キロぐらいでぶっ飛ばしてきた。
峠は寒く、キャンプの長旅もひとまず終わりだなーと思った。
早くも来年の夏が待ち遠しい。
自宅近くであつあつラーメンと生ビール。
この時間を除けば7時間半という短時間で到着した。
風呂に入り、即効寝た。

【データ】
燃費=25~30km/l
費用=ガソリン代(4,000円くらい)、
キャンプ代(1300円)、飲食代(6,000円くらい)、
フィルム代(700円くらい)

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