2022年1月4日火曜日

1995年8月 宗谷岬 バイク旅

20年程前に作った自分のホームページ「俺、こじこじ」は

兄の自社サーバーで運営していたが、

メンテナンスが追いつかず見られなくなった。

正月に帰省の際に、CDに保存していたデータを実家から持ってきたので、

少しずつこちらにUPしていきたい。

まずは大学3年生の夏のバイク旅で、

兄の初対面の友達で、その後今でも付き合いのある

新潟県新発田市の渡辺さんと、初めて会って宗谷岬に1泊2日で行った旅の物語である。

写真も文も未熟で短い。


 (’95年8月・22歳)


<バイクを買うまでの道>
 1995年4月、僕は札幌市内の大学3年生で白石区に住んでいた。
去年自転車での旅に挫折して、4月にとうとう念願のバイクを買ったのだ!!!

 高校生の終わりぐらいからバイクが欲しかったが、手が届かないと思い、
去年の3月にマウンテンバイクを買って、まず、5月の連休に積丹半島へ行ったが、
美国あたりからの坂の連続で、体力の限界まで達し、国道沿いの草むらで一泊しただけで、とんぼ返りしてきた。


ここがその場所。初めての一人での野宿。


 そして、夏休み、懲りもせず富良野を目指し、三笠近くの、またまた坂の連続で体力の限界まで達し、
桂沢湖キャンプ場で一泊して、帰ってきた。そこは人造湖だったので、景色も良くなく、
また、車で来ていた二人組と会って話をしたはずだが、今覚えているのは、
もう疲れ果ててとにかく早く帰って、家で休みたかったという思いだけだ。

 チャリダーとして敗れ去った僕は、その夏は、JRの鈍行列車で旅していた・・・^_^;。


<YAMAHA SEROW 225 との出会い>
 その当時、僕は、正直バイクを買うつもりはなかった。
買うとしても、お金を貯めて現金で買うつもりだった。

ある日、近くのバイク屋の前を通ったら、僕の欲しいセローが展示してあって、22万円で売っていた。
僕はそれを見た途端欲しくて欲しくてしょうがなくなり、
すぐに仮にローンを組んだとしても、今のバイトならやっていけるかも・・・と思い、
確かその2,3日後には買ってしまった。

 中古でメーターは7400キロぐらいだった。
価格は諸経費、金利込みで33万円ぐらい。
月々33,000円だったので、わずか1年ぐらいでローンは終わってしまった。

 買った当初はうれしくて、乗らないのにやたらエンジンをかけたり、磨いたり、エンジンの構造を見たりしていた。

 かって2,3ヶ月は、近場の石狩浜や、厚田村あたりをぶらぶらしていた。


<渡辺さんとの出会い>
 夏のある日、東京に住む兄から電話があり、
「明日俺と今一緒に住んでいる渡辺さんという人が北海道に行くっていうから、泊めてやってくれ」
と連絡があった。
僕は「ま、兄と友達ならいいか」と思い、承諾した。

 渡辺さんから電話があり、
「今、新札幌という所の郵便局前にいる」
というので、そこは僕の家からバイクで15分くらいだったので、迎えに行った。
そして、会って握手。その後、近くの店で昼飯を食った。
僕が渡辺さんにおごってあげた。
お互い初対面で緊張していたが、飯を食いつつ色々はなしているうち、
お互い旅好き、バイク好きということかすぐに打ち解けた。

 その日の晩は、我が家での宴会。
当時の僕はあまり酒が飲めなかったので、ほんの少しだけのんだ。
渡辺さんは、ウイスキーを飲んでいた。つまみは、かんかいだったかな。



かんかいとウイスキーでごきげんの渡辺さん



 翌日は、僕は自動車学校に通っていたので、そちらへ行き、渡辺さんは近所をぶらぶらしていたようだ。
確か、その晩に、ロールキャベツを作ってくれた。うまかった。

 渡辺さんは、東京から青森まで、途中テント泊しながら大間まで北上。
フェリーで函館まで渡り、その後噴火湾沿いに八雲~熊石。
日本海沿いに札幌まで来た。


<初めてのバイク旅>
 渡辺さんは、やはり北海道に来たので、最北端に行きたいようだった。
そして、せっかくだから僕も行かないか?と誘われたわけである。
当時僕は新聞配達をしていて、長い休みをとれなかったので、
1日だけ休みをもらい、宗谷岬への旅が決定したのである。

 朝7時頃出発。天気は快晴。
渡辺さんのバイクはホンダのシルクロードという古いバイクで、オイルが漏れている。
あまりの不人気さでわずか1年ぐらいで生産中止になったという貴重物である。



道々106号稚咲内海岸道路。
10キロぐらい信号なしの直線で快適!!


 日本海沿いにオロロンラインをひた走り、途中休みながらも、
やく8時間かけて、南稚内市のライダーハウス「どみんご組」に到着した。
宿泊費は確か1000円くらいだったはず。部屋は4人の相部屋。
初めての長距離運転でかなり疲れていたが、夜に宿泊者全員が集まってそれぞれ自己紹介した。
みんな関東、関西、遠くは福岡からの人もいて、その中で僕だけが北海道の人間で逆に恥ずかしかった。

 部屋に戻って、今度は6人での宴会。メンバーは、
①もう1ヶ月くらいこのライダーハウスに暮らしている26,7くらいのプー。
②奈良市からきたという専門学校生。
③福岡市から来たオフ車に乗った女の学生(結構かわいかった)。
④どこかわすれたけど、バイクの部品の製造工場で働いているという会社員。そして、
⑤僕と⑥渡辺さんであった。

<最北端の地で立松和平、大ブレイク!>
 このライダーハウスでの忘れられない思い出は、渡辺さんの立松和平だ。
たまたま立松和平のセリフが書いたポスターが貼ってあって、部屋に来たときに僕と二人で真似して笑いあっていたのだが、
それをこの宴会で披露したところ、大反響!まさかこんなに受けるとは思っていなかった渡辺さんも、
調子に乗って「立松和平です。海はおおきいよね~」などと連発していた。
それにしても、最果ての町でまさか立松和平がでてくるとは予想だにしなかった。

 また、驚いたのは、プーと奈良の専門学校生のトークバトルだ。
この二人によりほぼ占領されていた。もう僕などは長距離運転で疲れ果てて、横になって半分寝ていた。

 とにかくライダーハウスってすごい人ばかりが集まるのだなーと思った。



<とにもかくにも最北端>
 翌朝、奈良の②と福岡の③は一緒に、礼文島へ向けて、港に走り去った。
他のみんなも三々五々出て行った。僕らは今日は、とりあえず目的の日本最北端宗谷岬へ走った。
40~50分くらいで着いた。
「流氷とけて~♪春風吹いて~♪~宗谷のみさき~♪」とかいうテープが流れていた。
ライダー、チャリダー、マイカー、観光バスなど、最北端の地は人でごった返していた。

 渡辺さんは、最北端の町で最北端の絵葉書を書き、最北端のポストに投函した。
その後、最北端の店で最北端のアイスを食べた。

 そこのバス停の小屋には、旅人が残していった落書きが、もう壁に書ききれないくらいのこしてあった。
当然僕らもそこに書き込んで、次は近くの野寒布岬へ行った。
そこは、たいした感動もなく、海を見たり写真を撮ったりした。

<あっという間の最北端の旅>
 そして僕らは早々と札幌の自宅へ帰ることにした。
なんせ8時間もかかるのだから。途中で雨に降られた。とにかく寒かった。
途中、寒さに耐え切れずにコンビにでカップラーメンを食べた。
他のライダーやチャリダーも同じようにして、寒さに震えながらコンビニの軒下でカップラーメンを食べていた。
こういうときのカップラーメンは本当に格別だ。

 行くときと同じルートだったので、また雨で景色もよく見えず、
たいした感動もなく、ただひたすら雨と寒さに耐えて家に着いたときは安堵した。
雨合羽も6,000円くらいの安物だったので、全く効果がなく、前身びしょぬれ。

特に、チンポのあたりとケツが濡れたのが気持ち悪かった。
また、ブーツカバーなどという高級品もなく、靴も濡れて寒かった。
即効風呂に入って、二人ともよみがえった。

 それにしても、初めての旅は忘れられない思い出となった。

<その後の渡辺さん>
 渡辺さんはもともと北海道を周りに来たのだが、僕のうちにいるとなんかだらだらとした気分になって、
何もする気が起きなくなるので「こりゃ駄目だ!!!」と言って、何日かした後、富良野へ旅立った。
富良野では人参工場で1ヵ月ほど働いて、他のライダーとの交流もあったらしい。
その後、再び僕の家に舞い戻ってきて、1週間ほどごろごろしていた。
そして、小樽から新潟ゆきのフェリーに乗って帰った。





荷造り小樽港にて。さらば北海道。



 この頃は渡辺さんとのつきあいが今まで続くとは予想だにしていなかったのであった・・・・・・。


95年宗谷岬

(’95年8月・22歳)




0 件のコメント:

コメントを投稿